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2010年4月21日水曜日

警察権力の横暴を忘れるな

ちょっといまさら感もありますし、非常にセンシティブな話題ですが・・あえて。


1995年3月30日、当時の警察庁長官が狙撃されるという事件があり、今年時効をむかえました。時効をむかえ警視庁は「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」という資料を発表、4/30までの期限付きながらwebで公開しました。14ページ+資料2ページに渡り、事件捜査の概要が記述されてます。(警視庁のTOPページにLINKされてます)



http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/nansen/h220330_jiken.pdf

時効をむかえた事件に対し警察が総括するのも異例ですが、問題はその内容です。事件はとある宗教団体の組織的テロ、という前提ありきで、それを裏づけるべく延々と捜査資料が並べられてます。ニュースで知り、そのpdfを一通り読んだのですが、率直に思ったのは


「公安もよくこんな言い訳がましい作文したなぁ」

ということです。ここまで資料をあげておきながらも結果として逮捕できなかったわけで、一私人が感想して書くならともかく、公的機関、しかも警察自らが書くのはみっともない。


しかし、みっともない以上に大きな問題点があります。それは


「犯人かどうかわからない人・団体をいかにも犯人のように記述し、それを公表している」

という事実です。


その団体は別のテロ事案があります。しかしだからといって確定してない事実を「あいつはテロをするようなヤツだからあれもやったんだ!」との決め付けは明らかにおかしい。「疑わしきは罰せず」です、罪を取り締まる警察はいつからその大原則をこのような形で逸脱できるようになったのでしょうか?。こんなみっともない作文を公表するのは絶対に間違いです。


この文章を素直に読んだら「ああ、あの団体がやっぱり犯人なのか」と思うことでしょう。見込み捜査での警察の失敗を失敗でなく見せかけ、かつ犯人かどうかわからない人を犯人のように仕立て上げる・・といった技がこのような形で可能となるのです。極論をいえば、罪人はいつまでたっても罪人の括りから抜け出せない、ということにもなりますし、冤罪を容易に生み出すことにもなりかねません。ひとつの見解をwebで発表した・・という事実以上に重大な問題がはらんでいるのです。


念のため断りますが、私はその宗教団体とは一切関係ありませんし、その宗教団体を擁護するためにこの文章を書いたのではありません。警察は事実を客観的に分析し、犯罪を取り締まるべき存在です。このような形の横暴を許してはいけませんし、そのような行為に対して常に批判できるように、客観的な視点が必要だと思います。そのことを書きとめておきます。



(追記)


いまテレビで一休和尚の話をやってるのですが、その中ででてきたトピックのフレーズ


「物事をひとつの側面だけで見てはいけない」

常にナナメで見ればいい、ってもんでもないですが、必要なことだと常々考えます。

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